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仙台地方裁判所 平成8年(行ウ)9号 判決 1999年5月10日

仙台市太白区鹿野三丁目二三番一〇号二〇二

原告

佐藤美智子

右訴訟代理人弁護士

佐々木健次

渡辺寿一

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

陣内孝雄

右指定代理人

伊藤繁

粟野金順

佐藤恒夫

高橋藤人

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告の平成四年三月二六日相続開始(被相続人佐藤新治郎)に基づく相続税債務は、金四八三八万七八〇〇円を超えては存在しないことを確認する。

第二事案の概要

一  本件は、原告が、佐藤新治郎(以下「新治郎」という。)の死亡により相続した別紙財産目録三記載の家屋(以下「本件建物」という。)について、平成八年法律第一七号(以下「本件改正法」という。)による改正前の租税特別措置法六九条の四(相続開始前三年以内に取得等をした土地等又は建物等についての相続税の課税価格の計算の特例、以下「本件特例」という。)を適用して課税価格を算出した相続税の申告は、本件特例が適用され得ない場合であることを知らずに行ったものであるから、本件特例を適用した範囲において錯誤により無効であると主張して、本件特例が適用されない場合の納税額を超える相続税債務の不存在確認を求めている事案である。

二  争いがない事実

1  当事者

新治郎は平成四年三月二六日に死亡し、原告はその相続人の一人である。

2  本件建物取得の経緯

新治郎は、平成元年八月一日、仙台市青葉区本町に有していた事業用資産である土地及び建物を三億円で譲渡し、平成三年五月二四日、本件建物を買換資産として二億二二六九万一四〇〇円で新築して、賃貸マンションとして賃料収入を得ていた。

3  課税処分の経緯(別表「課税の経緯の一覧表」参照)

(一) 原告は、仙台南税務署長に対し、新治郎の死亡により開始した相続(以下「本件相続」という。)に係る相続税について、申告期限内である平成四年一二月二二日、次のとおりの申告を行った。

(1) 取得財産の価額等

イ 別紙財産目録一記載の宅地 九一三六万三一七九円

ロ 同目録二記載の宅地 五一八〇万一七五〇円

ハ 同目録三記載の家屋(本件建物) 二億二二九四万〇五〇四円

ニ 同目録四記載の有価証券 八四〇万九八四〇円

ホ 同目録五記載の有価証券 四〇〇万八六九五円

イないしホの合計 三億七八五二万三九六八円

(2) 課税価格の合計額(千円未満切り捨て) 三億七八五二万三〇〇〇円

(3) 納付すべき税額 一億一二一五万七六〇〇円

(二) 原告は、被告に対し、平成五年一月四日までに相続税として一二一五万七六〇〇円を納付した。

(三) 仙台南税務署長は、右申告には本件建物の価額に明白な転記誤りと、取得財産の申告漏れがあるとして、原告に対し相続税の修正申告の慫慂を行った。

(四) 原告は、右慫慂を受けて、同年一一月八日、仙台南税務署長に対し、次のとおりの修正申告を行った。

(1) 取得財産の価額等

イ 別紙財産目録一記載の宅地 九一三六万三一七九円

ロ 同目録二記載の宅地 五一八〇万一七五〇円

ハ 同目録三記載の家屋(本件建物) 二億二二九四万〇五〇四円

ニ 同目録四記載の有価証券 八四〇万九八四〇円

ホ 同目録五記載の有価証券 四〇〇万八六九五円

ヘ 現金・預金 八一五万〇三六八円

イないしヘの合計 三億八五六七万四三三六円

(2) 課税価格の合計額(千円未満切り捨て) 三億八五六七万四〇〇〇円

(3) 納付すべき税額 一億一五七三万〇三〇〇円

(五) 原告は、被告に対し、同月一九日、右修正申告により新たに納付すべきこととなった相続税のうち三五七万二七〇〇円及び過少申告加算税三五万〇七〇〇円を納付した。

(六) 右各申告(以下「本件申告」という。)の本件建物にかかる取得財産の価額は本件特例を適用して算出されたものであるが、本件特例を適用せずに算出した本件建物にかかる取得財産の価額は八一八八万五九一四円となり、その場合の原告の納付すべき税額は六三八六万四八〇〇円となる。

三  関係法令の定め

1  相続税の課税価格は当該相続又は遺贈により取得した財産の価額の合計額であるところ(相続税法一一条、一一条の二第一項)、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は当該財産の取得の時における時価により評価するのが原則である(同法二二条)。

右にいう時価とは、財産評価基本通達(昭和三九年四月二五日付直資五六・直審(資)一七(例規)。ただし右題名は、平成三年一二月一八日付課評二―四・課資一―六(例規)により改められた後のもの。)に基づき、土地のうち市街地的形態を形成する地域にある宅地については路線価、その他の宅地については土地の固定資産税評価額に地域ごとに定められた一定の倍率を乗じる方式により評価された価額、家屋のうち借家権の目的となっている家屋については大阪国税局管内の一部の地域を除き固定資産税評価額の〇・七倍で評価された価額をいう。

2  本件特例は、昭和六三年一二月の税制改正において右原則の例外として創設され、個人が相続により取得した財産のうち、当該相続の開始前三年以内にこれらの相続に係る被相続人が取得又は新築(以下「取得等」という。)をした土地等又は建物等がある場合には、右土地等又は建物等については、相続税法一一条の二に規定する相続税の課税価格に算入すべき価額は、同法二二条の規定にかかわらず、当該土地等又は建物等に係る取得価額として政令で定めるものの金額とすることとなった。

右政令で定める金額とは、平成八年政令第八三号による改正前の租税特別措置法施行令四〇条の二第三項により、土地等にあっては当該土地等の取得に要した金額及び改良費の額の合計額をいい、建物等にあっては当該建物等の取得に要した金額並びに設備費及び改良費の額の合計額から当該建物等の取得の日から当該相続の開始の日までの期間に係る当該建物等の減価償却費の額を控除した金額をいう。

本件特例は、昭和六三年一二月三一日以後の相続により取得した財産に係る相続税から適用された(昭和六三年法律第一〇九号所得税法等の一部を改正する法律の附則七三条)。

3  本件特例は、本件改正法により廃止され、平成八年一月一日以後に開始した相続については原則にもどることとされた。もっとも、平成三年一月一日から平成七年一二月三一日までの間に開始した相続で本件特例の適用がある土地等を有する場合には、経過措置(本件改正法附則一九条三項)の適用により相続税額が軽減される場合がある。

四  争点

1  本件建物の課税価格の計算に本件特例を適用したことが憲法に違反するとして本件申告の錯誤無効を主張することの可否

2  本件申告について国税通則法等が定める是正方法に依らずに錯誤無効を主張することの可否

五  争点に対する当事者の主張の骨子

1  本件建物の課税価格の計算に本件特例を適用することが憲法に違反し、本件申告の錯誤無効を来すか。

(一) 本件特例の憲法二九条一項違反について

(1) 原告の主張

イ 本件特例は、昭和六〇年代からの全国的な地価急上昇傾向の中、土地の実勢価格と路線価との乖離に着目し、借入金により土地を取得することにより将来の相続税負担を回避、軽減しようとする租税回避行為が横行し始めたため、地価が昭和六三年以降も相当長期的に上昇を続けることを前提として、右租税回避行為の抑制を目的として創設されたものである。

しかし、いわゆるバブルの崩壊により平成二年ころから地価は下落の一途をたどり、本件相続時には既に右立法事実は喪失し、立法目的も合理性を失っていた。

また、本件特例の規制手段は、土地のみならず建物をも対象とし、その取得等に際し租税回避の意図を有していたか否かを問わないから、賃貸ビルや賃貸マンションを建てて賃料収入を得ようとする長期的な見通しに立った健全な資本投下行為まで規制されることとなり、ひいては資本主義経済の根幹をも揺るがす著しく不合理なものであった。

ロ さらに、本件特例の適用により、相続によって取得した相続開始前三年以内に租税負担回避の意図なく取得等した土地等又は建物等をもってしてもそれに対応する相続税額に足りないという結果が生ずる場合には、同特例を適用することが憲法二九条一項に反すると解すべきである。

ハ 本件において、新治郎は賃料収入で老後の生活費を得ようと本件建物を新築したにすぎず、そこに租税負担回避の意図がなかったことはもとより、原告がたとえ本件建物を相続後直ちに処分したとしても、その処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納することは以下のとおり不可能であった。

すなわち、前掲修正申告によれば、相続税の課税価格の総額は七億〇〇五四万三〇〇〇円であり、本件建物の評価額は二億二一九四万〇五〇四円であるところ、課税価格に対する本件建物の評価額の割合は三一・六八パーセントとなる。

他方、納付すべき税額は二億一〇〇三万六九〇〇円であるから、本件建物に対応する相続税額は、納付すべき税額に先の課税価格に対する本件建物の評価額の割合を乗じた六六五三万九六八九円となる。

ところで、本件建物の本件相続時における時価は、別紙一のとおり六七六一万三一七三円であり、本件建物及びその敷地を現実に売却する場合には不動産業者の仲介手数料等の譲渡費用として、別紙二のとおり二一一万〇二七六円の負担を余儀なくされるから、本件建物を相続後直ちに処分したとしても原告の手残り金は六五五〇万二八九七円にすぎない。

したがって、原告がたとえ本件建物を相続後直ちに処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納することは不可能であった。

ニ 以上のとおり、本件において本件特例を適用することは、国が国民の財産を故なく奪うものとして憲法二九条一項に違反する。

(2) 被告の主張

イ 租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重し、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された手段が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、憲法二九条一項に違反するものということはできないと解するのが相当である。

(い) 本件特例は、地価の上昇、下落のいかんを問わず、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離に着目した租税回避行為の阻止を目的として創設されたものであり、その目的は正当である。

急激な地価高騰という局面は本件特例が創設されるに至った契機にすぎず、本件特例が地価の継続的上昇を前提としていたものでないことはもとより、平成二年ころは本件建物の所在地を含む多くの地域で地価の上昇傾向はなお続いていたのであるから、本件特例の立法事実が喪失したとの原告の主張は失当である。

(ろ) 賃貸建物について相続税評価額が時価の半分以下とされていることを利用して相続税の負担を回避することが可能であること、土地のみについて取得価額を基準に課税価格を算定するとすれば、土地と建物が一体となる取引において土地の価格の一部を建物の価格に転嫁することによって相続税の負担を回避することが可能であること等に鑑みれば、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離に着目した租税回避行為の阻止という目的を達成するためには、土地のみならず建物をも対象とする必要があった。

(は) 本件特例を租税回避の意図の有無を問わず一律に適用することとした点についても、租税回避の意図があるか否かの判断はそもそも納税者の内意を問う主観的な問題であって、その判断は実務上極めて困難であること、租税回避の意図がなくとも相続財産を不動産の形に変えた者とそうでない者との間で相続税の負担の公平を図る必要があること等を配慮したためであるから、一定の合理性が認められる。

ロ 本件特例を適用することによって相続税が相続財産を上回る場合には憲法二九条一項に違反する余地があるとしても、本件建物に対応する相続税額が本件建物の相続時の時価を上回るとして憲法違反をいう原告の主張は、対比すべき対象を誤っており、失当である。

すなわち、相続税の課税は、相続財産の合計額から債務及び葬式費用の合計額を控除した残額から遺産にかかる基礎控除額を控除し、それを法定相続人が民法の規定による相続分に応じて取得したものとした場合における各取得金額に超過累進税率を適用して算出した各法定相続人ごとの税額を合計して相続税の総額を計算した上で、それを実際の取得財産に応じて按分し、各相続人の納付すべき相続税額を算出するものであり、個別の相続財産ごとに相続税額を算出してそれを積算するものではないから、そもそも特定の相続財産に対応する相続税額というものを観念することはできない。

したがって、相続税額と相続財産の対比は、全相続税額と全相続財産の時価、あるいは各相続人の相続税額とその相続人が取得した相続財産の時価によるべきである。

そして、仮に本件建物の相続時の時価が原告の主張どおりであったとしても、本件特例を適用した場合の原告の相続税額が原告の取得した相続財産の時価を上回ることにはならない。

(二) 本件特例の憲法一四条一項違反について

(1) 原告の主張

本件特例は、昭和六三年一二月三一日以降平成七年一二月三一日までの間に開始した相続について、相続開始前三年以内に被相続人が取得等した土地等または建物等を相続により取得した者を、他の時期に相続した者と違った特別の扱いをし、多額の相続税を課すものとして、憲法一四条一項が規定する平等原則に違反する。

(2) 被告の主張

立法の前後で法内容に変更が生じること自体が、法の定立の平等及び法の適用の平等に反するものでないことはもとより、憲法が国会に立法権を認め、立法権が法律を制定、改正、廃止する権限である以上、憲法自身が立法の前後で法内容に変更が生じることを当然に予定しているということができ、これが憲法一四条一項違反の問題を生じさせるものではない。

(三) 本件特例の憲法二五条一項違反について

(1) 原告の主張

イ 生存権には自由権的側面があり、国民は憲法二五条一項に基づき国家による生存権の侵害を排除することができる。

ロ 原告が本件建物を相続後ただちに処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得なかったことは(一)(1)ハのとおりである。

ハ また、原告が本件建物を現時点で処分したとしても、その処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納することは以下のとおり不可能である。

すなわち、本件建物の時価は別紙三のとおり六三〇九万九九〇〇円であり、本件建物及びその敷地を現実に売却した場合には別紙四のとおり、本件建物に対応する譲渡所得税として九六四万七一九六円及び譲渡費用として一八九万二九九七円の負担を余儀なくされるから、本件建物を現時点で処分したとしても原告の手残り金は五一五五万九七〇七円にすぎない。

納付すべき税額中、本件建物に対応する金額は(一)(1)ハで既述のとおり六六五三万九六八九円であるから、原告は、たとえ本件建物を現時点で処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得ない。

ニ さらに原告は、相続税のうち一億円分について二〇年間の分納を申請した結果、相続税に加えて利子税の支払を余儀なくされ、本件建物を含む別紙財産目録一ないし三記載の相続不動産による不動産所得と給与所得の全てをそそぎ込んでも本件相続税及び利子税を支払っていくことはできない状況にある。

ホ 以上のとおり、本件において本件特例を適用することは、国が国民の生存権をあからさまに奪うものとして憲法二五条一項に違反する。

(2) 被告の主張

イ 憲法二五条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがって、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄である。

ロ 本件建物を相続後直ちに処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得なかったとして憲法違反をいう原告の主張が失当であることは、(一)(2)ロのとおりである。

ハ 本件建物を現時点で処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得ないとの原告の主張は、相続開始以降の経済状況の変動と譲渡所得税の負担を理由とするものである。

しかし、相続開始時以降の経済状況の変動を原因とする資産価値の変動を考慮すべきとする原告の右主張は、相続による財産の取得に着目した相続税の性格と相容れず、既に確定した租税債権はその後の経済状況の変動によって増減させ得るものではないから、失当である。

また、本件建物を売却した場合に原告が負担すべき譲渡所得税の多寡は、新治郎が本件建物を取得する際に本来その時点で負担すべきであった譲渡所得税の繰り延べを認める買換特例(平成二年法律第一三号による改正前の租税特別措置法三七条(特定の事業用資産の買換えの場合の譲渡所得の課税の特例))を利用したことに由来するものであって、本件特例を本件に適用することの合憲性を左右するものではない。

さらに、原告が主張する本件建物の時価は収益還元法に基づき算定されたものであるが、時価評価は通常、原価法、取引事例比較法等、複数の方法で算出された価格を考慮して評価するものであるし、収益還元法によったとしても原告が算定に使用した戸数、賃料額及び利回り等の値の根拠が明らかでなく、原告の計算自体の合理性を直ちに認めがたい。

ニ 相続税は被相続人が蓄積した財産を課税標準として課せられるものであって、相続人の所得の有無、多寡等とは関係がない。相続税を当該相続人の所得等によって支払うことが困難であるからといって、そのことによって当該課税の根拠となる法律の適用が排除されるものではなく、この点についても原告の主張は失当である。

2  本件申告について国税通則法等が定める是正方法に依らずに錯誤無効を主張することの可否

(一) 被告の主張

相続税法は、納税義務者が自ら納税の有無を判断し、課税標準及び税額を計算して具体的な納税額を確定させるという申告納税制度を採用しており、国税通則法二三条一項は、当該申告書にかかる国税の法定申告期限から一年以内に限り、税務署長に対し、その申告に係る課税標準等又は税額等につき更正をすべき旨の請求をすることができると規定し、租税債務の可及的速やかな確定を図っている。

原告は右更正の請求に依ることなく、本件訴えにおいて初めて錯誤の主張をして納付すべき税額を争っているが、法が申告書の記載内容の過誤について特別の是正方法を設けた趣旨に鑑みれば、相続税の申告書の記載内容の過誤について、右更正の請求に依ることなく、錯誤無効の主張をすることは原則として許されないというべきである。

(二) 原告の主張

申告書の記載内容に過誤があった場合の是正は、国税通則法の定める更正の請求に依ることが原則であるとしても、更正の請求以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合には、錯誤無効の主張をすることも許されるというべきである。

そして、右特段の事情とは、錯誤に陥ったことが一般人として無理からぬといえるかどうかを基準に判断すべきところ、原告は、税理士及び税務署職員の指示に従い本件申告をした後、本件改正法により本件特例が廃止され、右廃止に伴う相続税減額に関する経過措置が土地にのみ認められ、建物には認められなかったことを契機として、本件特例を本件事案に適用することの違憲性を初めて認識するに至ったのであるから、本件申告時には本件特例を合憲であると信じるにつき無理からぬ事情があったというべきである。

第三争点に対する判断

一  争点1(一)(本件特例の憲法二九条一項違反)について

1  憲法二九条は、一項において私有財産制を保障するとともに個人の財産権を基本的人権として保障する一方、二項において個人の財産権も無制限なものではなく公共の福祉のために制約を受けることを認めている。

ところで、租税は、今日において、国家の財産需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはない。裁判所は、租税法の規定が憲法二九条一項に違反するか否かを判断するに当たっても、基本的には立法府の裁量的判断を尊重し、その立法目的が正当なものであり、かつ当該立法が採用した具体的規定内容が右目的との関係で著しく不合理であることが明らかでない限り、当該立法が憲法二九条一項に違反するということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(行ツ)一五号昭和六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)。

2  右の観点から本件特例を検討するに、証拠(乙四、五)及び弁論の全趣旨によれば、本件特例の立法経緯は次のとおりであったことが認められる。

相続税の課税価格は当該相続又は遺贈により取得した財産の取得の時、相続の場合であれば相続開始の時における時価により評価するのが原則であり、右時価による評価は財産評価基本通達に従って行われるところ、右通達による評価額は、課税上の評価であることや評価の安全性等の見地から、公示価格や実勢価格に比べてある程度低い水準に抑えられている。

しかし、昭和六〇年代当初、地価上昇の著しい特定の地域において、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離に着目し、相続直前に借入金により不動産を取得することで将来の相続税負担の軽減を図る事例が数多く見られるようになり、税負担の公平上看過し得ない問題となっていた。すなわち、右の方法で不動産を取得した場合、借入金は債務として全額控除されることとなる一方、取得した不動産は路線価等による評価額で評価されるため、右借入金額と右不動産の評価額との差額は他の相続財産から控除されることとなり、不動産を取得しなかった場合に比べて相続税負担が軽減される結果となるのである。同様の結果は、借入れによらずに手持現金や他の金融資産の売却等により不動産を取得する場合にも生ずる。

そこで、昭和六三年一二月の税制改正において本件特例が創設され、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離を利用した相続税負担回避行為に対処し、税負担の公平を確保するため、被相続人が相続開始前三年以内に取得等した土地等又は建物等については、相続開始時における時価ではなく、取得価額により課税することが規定された。

3  右のような本件特例の立法経緯に鑑みれば、本件特例の立法目的は、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離を利用した相続税負担回避行為が横行する状況下で、これに対処し、税負担の公平を確保することにあることが明らかであるところ、公平な税負担は租税法の基本原則であるから、右の目的は正当なものということができる。

この点、原告は、いわゆるバブルの崩壊により平成二年ころから地価は下落の一途をたどり、本件相続時には既に本件特例が前提とした立法事実は喪失し、立法目的も合理性を失っていたと主張する。

しかし、証拠(乙五)によれば、本件特例は土地の相続税評価額と実勢価格との乖離に着目した相続税の負担回避行為の横行という実態に対応するための措置であり、地価上昇時のみを念頭において創設されたものではないこと、平成八年度の税制改正に関する答申においても本件特例を直接地価動向と結び付けて議論することは適当でない旨述べられていること、本件特例が廃止されたのも、右のような相続税の負担回避行為の横行が見受けられなくなり、本件特例の適用件数が大幅に減少したためであり、地価の下落を直接の原因とするものではないことが認められ、本件特例は地価の継続的上昇を立法事実として要求するものではなく、地価が下落傾向にあることをもって本件特例の立法目的が合理性を失うものでもない。

のみならず、証拠(乙六ないし一三)によれば、地価は、平成四年当時、東京、大阪近辺の都市部において下落、沈静化傾向を見せていたものの、本件建物所在地を含む多くの地方圏ではなお上昇傾向が続いていたことが認められる。

したがって、本件相続時において本件特例の立法事実が喪失し、立法目的の合理性も失われていたとの原告の主張は採用できない。

4  右目的との関連において、原告は、本件特例が具体的に採用する規定内容の合理性について、土地のみならず建物も規制対象に含め、被相続人がその取得等に際して租税回避の意図を有していたか否かを問うことなく適用される本件特例の規定内容は著しく不合理であると主張する。

しかし、建物を規制対象としている点について、証拠(乙一四ないし一六)によれば、建物とりわけ貸家については相続税評価額が時価の半分以下とされていることを利用して、相続税評価額と実勢価格との乖離に着目して相続税の負担を回避することが可能であるところ、本件特例の創設当時、借入金で貸ビルや貸マンションを建築することによる相続税の負担回避行為が横行し、行き過ぎた節税対策として問題視されていたことが認められ、建物についても本件特例の立法目的は妥当する。加えて、仮に本件特例の対象を土地に限定し、土地についてのみ取得価額を基準に課税価格を算定するとすれば、土地と建物が一体となる取引において、土地の価格の一部を建物の価格に転嫁することによって本件特例の規定を免れることは容易に想像できるから、土地について本件特例の立法目的を達成する手段としても建物を対象とすることには合理性が認められる。

また、被相続人の租税回避の意図の有無を問わない点について、たとえ租税回避の意図がなくとも相続財産を不動産の形に変えた者とそうでない者との間で相続税の負担の公平を図る必要があるのみならず、相続税の負担回避の意図があったか否かを外部から判断することは必ずしも容易なことではなく、担当者の恣意を排除し適正かつ迅速な税務処理を行う必要から租税法の適用要件が形式的客観的なものとなることはやむを得ないところと言わざるを得ない。

以上に加えて、本件特例においては、被相続人の居住の用に供されていた土地等又は建物等については適用を除外するなど、税負担が過酷となることがないような配慮がされていることをも考慮すれば、本件特例の規定内容がその立法目的との関係で合理性を欠くということはできない。

したがって、本件特例がそれ自体として憲法二九条一項に違反するということはできない。

5  もっとも、本件特例を適用することによって各相続人の相続税額がその相続人が相続等により取得した財産の相続開始時の時価を上回り、相続税課税の趣旨を逸脱するものと判断される場合には、相続等により取得した財産以上の財産的価値を相続税の名の下に国家に侵奪されるに等しく、本件特例を形式的に適用して課税することが憲法二九条一項に違反するとの見解もありうる。

(一) この点、原告は、課税価格に対する本件建物の評価額の割合に納付すべき税額を乗じる方法で本件建物に対応する相続税額を求め、これが本件建物の相続時の時価を上回るとして、たとえ本件建物を相続後直ちに処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納することは不可能であったと主張する。

しかし、相続税の課税は、各取得財産額に直接に税率を適用して各財産取得者の税額を算出するものではなく、各財産取得者の取得した相続財産の価額からその者の負担すべき被相続人の債務及び葬式費用等を控除して各財産取得者の課税価格を算出の上、同一の相続人からの財産取得者全員の課税価格を一旦合計し、ここから遺産に係る基礎控除額を控除し、これを法定相続人が法定相続分に応じて取得したと仮定して取得財産額を出し、これに税率を乗じた税額の総額を実際の各財産取得者の取得財産の割合に応じて按分して算出するものである(相続税法一一ないし二一条)。

したがって、そもそも特定の相続財産に対応する相続税額というものを観念することができず、本件建物に対応する相続税額として原告が主張するところは、相続税額の算出方法の特殊性を看過した独自の理論に基づくものであって採用できないから、これと本件建物の相続時の時価を対比してする原告の主張も、原告の主張する時価の適否を論じるまでもなく採用の限りでない。

(二) 相続税額の右算出方法に鑑みれば、仮に本件特例を適用することが憲法に違反する場合があり得るとの見解に立ったとしても、その憲法適合性を判断するにあたっては、本件特例を適用した場合に原告が負担する相続税額と原告が本件相続により取得した財産の相続開始時の時価を対比することが相当である。

本件特例を適用した場合に原告が負担する相続税額は一億一五七三万〇三〇〇円であり、原告が本件相続により取得した本件建物以外の財産の相続開始時の時価は一億六三七三万三八三二円であるところ(争いがない事実3(四)参照)、仮に本件建物の相続開始時の時価が原告の主張する六五五〇万二八九七円(ただし、右の金額は、本件建物の相続開始時の時価から譲渡費用を引いて計算した手残り金として原告が主張する金額である。)であったとしても、原告が本件相続により取得した財産の相続開始時の時価は二億二九二三万六七二九円となり、原告の負担する相続税額を上回ることは明らかである。

してみれば、本件特例を本件建物に適用することが憲法二九条一項に違反するとの原告の主張は、その前提を欠き採用できない。

二  争点1(二)(本件特例の憲法一四条一項違反)について

1  憲法一四条一項は、法の下の平等を保障しているが、これは国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であって、国民各自の事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和二五年(あ)第二九二号同年一〇月一一日大法廷判決・刑集四巻一〇号二〇三七頁、同昭和三七年(オ)第一四七二号昭和三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁等参照)。

2  ところで租税法の定立については、前述のとおり、立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ず、租税法の分野における取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関係で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項の規定に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号昭和六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)。

3  本件特例が、不動産の相続税評価額と実勢価格との乖離を利用した相続税負担回避行為の横行に対処し、税負担の公平を確保するという目的で創設されたこと、その立法目的が正当なものであることは前述したとおりである。

4  そして、右立法目的との関連において、本件特例の適用対象となる被相続人の不動産取得時期を相続開始前の一定期間に限定することには合理性が認められ、本件特例が相続開始前三年以内の不動産の取得を対象としたことが右目的との関係で著しく不合理とは認められないから、その結果として、相続開始前三年以内の不動産の取得とそれ以前の取得が区別されることとなったとしても、本件特例が憲法一四条一項に違反するということはできない。

三  争点1(三)(本件特例の憲法二五条一項違反)について

1  原告は、本件建物を相続後直ちに処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得なかった、本件建物を現時点で処分したとしてもその処分により入手した金銭で本件建物に対応する相続税を完納し得ない、相続した不動産に基づく所得及び当該相続人の給与所得をもってしても相続税を支払うことが困難であるとして、本件特例を本件建物に適用することが憲法二五条一項に違反すると主張する。

2  しかし、相続開始後の経済状況の変動による本件建物の資産価値の減少や相続人の収入の多寡を理由とする原告の主張は、被相続人が一生をかけて築いた財産に担税力を認める相続税の趣旨を看過するものとして、採用できない。また、右相続税の趣旨に鑑みれば、右一5で判示したとおり、相続開始時を基準に相続財産と相続税額を対比するのであればともかくとして、本件建物に対応する相続税を観念し、これと本件建物の相続開始時の時価を対比する原告の主張も採用できない。そして、一5(二)で説示したとおりであるから、原告が右相続税額を完納し得ないとは認めがたく、憲法二五条一項の性格論は措くとしても、本件特例を本件建物に適用することが同条項に違反するとの原告の主張は、その前提を欠き採用できない。

四  以上のとおり、本件特例自体または本件特例を本件建物に適用することが憲法の各条項に違反するとの原告の主張には理由がなく、本件申告について錯誤による無効を認める余地はない。したがって、錯誤による無効を前提とする争点2は判断する必要がない。

五  結語

以上判示したところによれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀬戸口壯夫 裁判官 上田賀代 裁判長裁判官阿部則之は、転補につき、署名押印することができない。裁判官 瀬戸口壯夫)

別紙 財産目録

一 宅地

貸家建付他

仙台市太白区鹿野三丁目二二三番二所在

五九九・二六平方メートル

二 宅地

自用地

仙台市太白区鹿野三―二二三―一三

二九九平方メートル

三 家屋

貸マンション

仙台市太白区鹿野三丁目二二三番地二所在

家屋番号 二二三番二

鉄筋コンクリート造四階建共同住宅

登記簿上の床面積九〇六・〇七平方メートル

四 有価証券

リツキY一〇二

日本興業銀行

四五三〇口のうち金八四〇万九八四〇円分

五 有価証券

リツキR四九一

日本興業銀行

四〇〇口

別表

「課税の経緯の一覧表」

<省略>

別紙一

以下、別紙財産目録三記載の家屋(貸マンション)を「本件建物」と、同目録一記載の宅地(貸家建付地)を「本件土地」と、以上二つを合わせて「本件土地建物」とそれぞれ記載する。

1 本件土地建物のように、収益を目的とする投資事業用物件は、市場においては「収益還元法」に基づき算出された価額をもって取引されている。

2 ところで、本件土地建物が完全稼働した場合の年間収入は、下記のとおりである。

[賃料] [戸数]

100,000/月×12戸×12ヵ月=14,400,000円

3 また、平成4年3月26日当時投資事業用物件につき売買成立のため必要だった利回り(荒利)は、下記のとおりである。

鉄骨鉄筋コンクリート造の建物の場合 利回り6・16%以上

4 従って、本件土地建物の相続時(平成4年3月26日)における「収益還元法」に基づく時価を算出すると、下記のとおりである。

[上記2] [稼働率] [上記3]

14,400,000円/年×85%÷6・16%=198,701,298円……………………A

(なお、「稼働率」とは「空室率」の反対概念であり、本件土地建物付近では、経験的・統計的に85%とされている。)

5 これを、本件土地と本件建物とに振り分けると、下記のとおりである。

イ 土地の価額

[地積] [平成4年度路線価]

599・26m2×175,000円×1・25=131,088,125円……………………B

(当時はバブル崩壊後まだ日も浅く実際の取引価格は路線価よりも確実に25%以上高かった。)

ロ 本件建物の価額

A-B=67,613,173円

別紙二

<省略>

2 上記譲渡額合計に対応する譲渡費用(3%+6万円+消費税)

金6,201,670円 を、

土地 131,088,125円 と

建物 67,613,173円 とに振り分けると、

建物分は 金2,110,276円

となる。

別紙三

以下、別紙財産目録三記載の家屋(貸マンション)を「本件建物」と、同目録一記載の宅地(貸家建付地)を「本件土地」と、以上二つを合わせて「本件土地建物」とそれぞれ記載する。

1 本件土地建物のように、収益を目的とする投資事業用物件は、市場においては「収益還元法」に基づき算出された価額をもって取引されている。

2 ところで、本件土地建物が完全稼働した場合の年間収入は、下記のとおりである。

[賃料] [戸数]

100,000/月×12戸×12ヵ月=14,400,000円

3 また、投資事業用物件につき売買成立のため必要だった利回り(荒利)は、下記のとおりである。

鉄骨鉄筋コンクリート造の建物の場合 利回り8・5%以上

(木造の場合 利回り12%以上)

4 従って、本件土地建物の「収益還元法」に基づく時価を算出すると、下記のとおりである。

[上記2] [稼働率] [上記3]

14,400,000円/年×85%÷8・5%=144,000,000円……………………A

(なお、「稼働率」とは「空室率」の反対概念であり、本件土地建物付近では、経験的・統計的に85%とされている。)

5 これを、本件土地と本件建物とに振り分けると、下記のとおりである。

イ 土地の価額

[地積] [路線価]

599・26m2×135,000円=80,900,100円………………………………………B

(本来、本件土地の取引価格は坪55~60万円であるが、ここでは平成9年度路線価によった。)

ロ 本件建物の価額

A-B=63,099,900円

別紙四

<省略>

2 上記税額合計(B)金22,015,825円を、

<1> 土地 80,900,100円 と

<2> 建物 63,099,900円 とに振り分けると、

<3> 建物分は金9,647,196円

3 上記譲渡費用(3%)(A)金4,320,000円を、

<1> 土地 80,900,100円 と

<2> 建物 63,099,900円 とに振り分けると、

<3> 建物分は金1,892,997円

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